2022年07月02日

ヤングケアラー7

「最後にヤングケアラーとして一番皆さんに聞いて貰いたいことは何ですか?」

 

 

T「ヤングケアラーというのはその子の個性の一面というか色んなその子の個性がある内の一部分だと思うんですね。なのでこっちから打ち明けた時に決めつけられたりするとしんどいかなと思います。なので適度な距離を保って、その子がいつでもSOSを出しやすいように日頃から信頼関係を築いていて欲しいと思います。」

 

 

「ヤングケアラーをサポートする制度は今あるんですか?」

 

 

T「ようやく国や地方自治体も動き始めてきました。今作ってる途中なんですね。私の小さかった頃は患者本人の支援サービスというものはありましたがそれを介護するケアラーと言いますと完全に患者の背景であって透明人間のような存在でしたが最近になってケアラーもケアーしなくてはいけないという事実が判ってきて今動いてる途中にあります。」

終わり

 

岡崎 交通事故 接骨院

 

 

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2022年07月01日

ヤングケアラー6

「大人からのアドバイスは欲しかったですか?」

 

T「具体的な支援を求めている時はアドバイスして欲しかったですけど、ただただ不安な気持ちに寄り添って欲しかったというのが一番です。」

 

 

「具体的にはどうして欲しかったですか?」

 

 

T[もっと傾聴して欲しかったですね。アドバイスはこっちが求めてきた時でいいと思います。私が凄くしんどい時、ついつい弱音を吐いて{家に居るの辛い}{お母さんなんか居なかったら良かった}{このまま死んでしまいたい}と言った時に周りの大人は{そんなこと言ってはダメ}{お母さんがかわいそう}と言うんですよね。それって{自分はネガティブな感情を出してはいけないんだ}と子供心に思ってしまって{いつも元気でいなくてはいけない}{いつも心配かけてはいけない}と心に負担をかけて最終的には何も言えなくなってしまって、ただただ我慢しなくてはいけなくなるので{そりゃそんなに大変なことをしていたらそう思うのも当然だわ}とか{同じ人間なんだし疲れると誰だってそうなるよ。もっと弱音を吐いていいんだよ。}とありのままの自分を受け止めて寄り添ってくれる大人が欲しかったです。そういうおとなが居たら{信頼度}とか{生きていく為の希望度}が変わったんじゃないかなと思います。」

 

 

 

「私なんかつい遮ってしまったり、ついアドバイスしたくなったりするんですけど、そうじゃなくて兎に角、聞いて欲しかったということですか?」

 

 

 

T「もう本当にそうです。アドバイスはしなくていいし意見もしなくていいから、ただそのままの自分を聞いて欲しい、理解して欲しいです。」

つづく

 

岡崎 交通事故 接骨院

 

 

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2022年06月28日

ヤングケアラー5

 

「ヤングケアラーとして24年間過ごされて周りの人からどう言われましたか?」

 

 

T「子供の時は{お母さんの事、頼んだね。}とか{しっかりしててえらいね。}と言われてその時は子供なので言われると嬉しくて凄く一生懸命頑張っていて、そのまま大人になるまで続いてしまったような感じです。」

 

 

「えらいね。と言われるのはどう思いますか?」

 

 

 

T「子供にとっては自分の存在価値を認めてくれ労をねぎらってほめてくれるいい言葉なんだと思いますけど、それによって頑張り過ぎてしまうし言われることによって極限まで追い詰めてしまう危険な言い回しだと思います。」

 

 

 

「大きくなって友達から労をねぎらうようなことを言われるのはどう思いますか?」

 

 

 

T「なかなか理解されなかったんですけど・・・例えば待ち合わせなんかしてたりすると母の症状が悪かったりして待ち合わせの時間に遅れて行ったりして、それが何回も続いたりするといい加減な人と思われたり言い訳してると思われたり付き合い悪いなと言われたり・・・大人になってからは介護そのものに関して言えば{働いてない。}なんて言うと世の中で言うニートと捉えられてしまって友達に{何してるの?}と聞かれると{母の症状が良くなくて働いてないんだ}と言うと{働かなくていいなんてうらやましい}とか{変わって欲しい}と言われ介護のつらさを判ってもらえず{介護は価値が無い}みたいに思えちゃって、そもそも介護は{してていいね}と言われることは全くないし、でもその介護ってこと自体を放り出せない自分を考えた時にとてもしんどかったです。」

 

 

 

「24年間の心の中はどうだったでしょうか?」

 

 

 

 

T「曇りでした。子供の時から勉強してても遊びに行ってても頭の半分は{お母さん、今しんどがってないかな?新しい治療始まって上手くいってるかな?}とずっと不安がっていて五月晴れとか晴天と言った日は一日もありませんでした。」

 

 

 

 

「そういうヤングケアラーに対して周りの大人はどうして欲しかったですか?」

 

 

 

 

 

T「子供の時はケアのストレスと体の不調が伴ってなくて体はしんどかったし、心はさらにその上をいくような感じでズタズタになっていましたので、ありのままの自分の話を聞いて受け止めてくれる大人が欲しかったです。」

つづく

 

 

 

岡崎市交通事故施術

 

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2022年06月26日

ヤングケアラー4

「ご家族の方とは仲良くやっていましたか?」T「父とよくぶつかって{もう少し母の面倒をみてよ。}と言っていました。」

「仕事もさせてもらえない状況で自分の人生について考えたことは無かったですか?」T「めちゃくちゃありました。周りの同級生は社会に出てキャリアを積んでスキルアップして着実に階段を登っていく中で、私とくれば母の介護に付きっきりで皆から取り残されたような感覚に陥り、こんなんで私は本当にいいの?と常に思っていましたし社会から断絶されたような孤立感がずっと付き纏っていたし、すごくしんどかったです。でもいま振り返ったとしても、私にはこの選択肢しかなかったんです。」

「お母さんはその後、気胸を併発して10年の闘病の末、66歳でお亡くなりになりました。Tさんは33歳。およそ24年間ケアされてきました。亡くなられた時、どうでしたか?」

T「言葉にならないくらい落ち込みました。母は今までの私の全てでしたから亡くなったという実感が湧いてきた時は自分の体が半分引き裂かれて無くなったような焦燥感を感じました。ずっと母のケアだけをしてきて自分が30歳を過ぎてポンッと世の中に放り出されて気付いた時には私には何もない。何もしてきていない。何の蓄積もない。こんな人生何の意味もないと思いました。」

「お母さんと一緒に居た時はどういう風にとらえていたんですか?」T「病気が悪くなっていくのを見ていくというのは凄く辛くて、これが反対に治ったり良くなったりしていく病気ならいいですけど、ずっと悪化の一途を辿る中で私の出来ることといったら見守って励まして死とか病に恐怖する母の手をギュッと握ってやることしか出来ず何の慰めの言葉も出てこない位になるんですけど、でも「私が付いているからね。」としか結局言えず、あれだけ病気に苦しめられた母はそれでも最期まで病気と闘って生き抜いたその凄まじい姿を私に見せてくれていた。これは懸命にケアをしてきた私だけが受け取ることの出来るギフトではなかったかと私は気付いたんです。言い換えれば普通の母娘よりも濃厚な時間を過ごさせてもらって愛情も一杯貰ったし、母自体はどうする事さえもできない誰にも変わって貰えない中で一生懸命生きてる母の究極の人間の姿を見せてもらって、そう考えれば私は幸せだったなと感じています。」

つづく

 

 

岡崎接骨院

 

 

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2022年06月25日

ヤングケアラー3

「Tさんが大人になったらお母さんの状態はどうだったんですか?」

 

 

 

T[私が大学2年生の時に母が間質性肺炎を合併しまして、そこから私達家族にとっても母にとってもかなり厳しい状況に陥る形になっていきました。」

 

 

 

「間質性肺炎はどういった病気ですか?」

 

 

 

 

T「肺に炎症が起きて壁が厚くなり慢性的な呼吸不全が続き24時間酸素吸入をしてないと肺の使える表面積が段々と減っていき最終的には呼吸が出来なくなって溺れるような感じで亡くなっていくような感じになる怖い病気です。これは難治性で決して元には戻らない病気なので本人にとっても闘病は大変だったし介護する側にとっても大変でした。」

 

 

 

「お母さんはそんな状態だと精神的に不安定にならなかったですか?」

 

 

 

 

T「すごくしんどいものがあったし、おしゃれが好きな人だったので24時間鼻にチューブをつけてるというのがすごく抵抗あって嫌がっていたし、健常者からしてみれば想像を絶するものがあったと思います。時々ストレスを感じて泣いたりとか多発性筋炎にしても間質性肺炎にしても急に悪化する病気なので自分はあとどれくらい生きられるんだろう?といった恐怖になやまされていたと思います。」

 

 

 

 

「社会人になったら仕事とお母さんのケアを両立していかないといけないので、もっと大変な状況になりませんか?」

 

 

 

 

 

T「良くならない進行性の病気だったので両立していくのは大変だったし私が働き始めて2年目に母が悪性リンパ腫に罹ってしまって先生から{お母さんは今年一杯は居らっしゃらないだろう」と宣告されて「もってあと1年かな」と言われてしまって、その時私は自分の仕事か母のケアかどちらかに選択しなくてはいけない状況になってしまって、かなり揺れていたのを思い出します。でも結局、悩んでいる暇などなくて仕事などしている状況ではなくなり仕事を辞めるしか道はありませんでした。」

 

 

 

 

 

「お母さんも大変でしたがTさんも大変でしたね。」

 

 

 

 

T「どれをとっても重い病気でしたので私としては消えかかっているロウソクを消えないように両手でふさいで何とか守っているような状態でした。」

つづく

 

 

 

岡崎接骨院

 

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岡崎接骨院のおもしろい院長ブログ

岡崎市にございます岡崎接骨院では、院長がブログを配信中です。院内の出来事や治療の事、お体の事、あるいは日常のちょっとした出来事などを綴っておりますが、ご覧いただいている常連の患者様などからは、文学調で面白いとか、エッセイを読んでいるようだとの感想を頂戴しております。
単に痛みの話や交通事故治療の話を語り、岡崎接骨院にいらしてくださいというのではなく、どこか小説を読んでいるような面白さでございます。是非一度、ご覧いただき、院長の成りや人柄、考え方に触れていただければ幸いです。
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